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新幹線大宮駅 その2

その1、E5系を中心に紹介したのに続きます。

こまち+はやて
17番線に、今度は正真正銘の「こまち+はやて」。

「こまち」のエンブレム
「こまち」のエンブレムと、跳ね上がったステップ。

秋田行き
秋田行き。

E5系
「こまち」秋田、「はやて」新青森へ向けて発車。次の停車駅は仙台。

長野新幹線E2系「あさま」
続いて、長野新幹線E2系「あさま」東京行きが到着。長野新幹線の車両は全て小窓のE2系0番台車。なお、東北新幹線のE2系も、2002年八戸延長の際10両化されるまでは塗装も長野新幹線と同じだった。

E2系「やまびこ」+E3系「つばさ」
さらに、E2系「やまびこ」+E3系「つばさ」。17両編成でやって来た。

見ざる言わざる聞かざる
E2系にはラッピングが施されていた。見ざる言わざる聞かざる。

E2系1000番台とE3系2000番台車
E2系1000番台とE3系2000番台車と連結。
以前「つばさ」はすべてE4系Max(8両編成)と連結して、15両編成を組んでいたが、E2系と連結する列車が増え、17両編成の列車が増えている。
※E4系Maxは9月29日ダイヤ改正で、東北新幹線より撤退し、全て上越新幹線へ転属する予定。「つばさ」連結相手は全てE2系となる。

「つばさ」のエンブレム
山形新幹線「つばさ」のエンブレム。

つばさ20周年
「つばさ」は1992年7月1日運転開始して、おかげさまで20周年。

E3系2000番台車
上り「つばさ」大宮駅14番線を発車。東京駅へ向かう。

E3系2000番台車
すぐして、下り「つばさ+やまびこ」がやって来た。
初代「つばさ」400系は2010年4月限りで引退し、代わりに現在はE3系2000番台車で運行。新庄延長の際登場したE3系1000番台(運転席窓回りが黒く、ヘッドライトは「こまち」と同じ)は引き続き現役。

「つばさ」の行き先表示

「つばさ」の行き先表示
「つばさ」の行き先表示。フルカラーLEDで多くの情報を表示する。「山形・新庄」と読める。山形市は県庁所在地でメジャーな地名だが、新庄市はまだマイナーな地名で、知名度も低いために、「山形・新庄」と表示している。先代の400系でも方向幕で表示していた。

E3系2000番台車
E2系「やまびこ」共々、大宮駅を出発。

17両編成
17両編成全景。両数では長くみえるが、全長はMax16両編成より10m短い。
また17連運転は、1997年から2001年までにも存在し、その当時は200系10連と連結していた。
E4系Max8連に代わって、17連運転はいったん消滅していた。

ここで、趣向を変えて駅名板を紹介します。

駅名板
17番線 東北新幹線乗り場 次は小山・宇都宮

駅名板
18番線 上越・長野新幹線乗り場 次は熊谷・高崎

駅名板
15番線 新幹線上り乗り場 東北・上越新幹線両用

駅名板
16番線 新幹線下り乗り場 東北・上越新幹線両用

そして、駅の列車案内

列車案内板
17・18番線案内板。色を列車愛称ごとに変える、フルカラーLED方式。1列車に複数の愛称がある場合も、わかりやすいよう印象を与えている。

列車案内板
ホーム下、改札近くの列車案内板。

続いて、その3へ。



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新幹線大宮駅 その1

2012年も早いもので上半期終了し、折り返し地点です。
夏を迎えるとはいえ、日照時間も短くなると思うと、寂しい気もします。
私はきょう(6/30)、さいたま市の大宮駅へ新幹線を撮影してきました。
大宮駅はJR東日本の新幹線が一同に集まる駅で、東北・山形・秋田・上越・長野新幹線の全ての列車が停車します。駅構内も、3面6線と、JR東日本新幹線の駅では最大級です。
東北・上越新幹線は今年開通30周年。よって新幹線大宮駅も30周年です。
JR東の新幹線は、種類が多く、1時間ほどホームに居れば、ほとんどのバラエティに富んだ車種が見れて、飽きないです。
全て車両と定員が画一化された東海道新幹線とは対照的です。
最近の東海道新幹線ときたら、2階建て100系どころか500系も撤退し、初代「のぞみ」300系も引退して、N700系と700系ばかりになってしまって、面白くもありません。0系ばかりの国鉄時代よりもつまらなくなってしまいました。

さて、大宮駅で撮影した新幹線車両を、写真を中心に紹介します。

JR大宮駅 改札外
JR大宮駅 改札外

新幹線北乗り換え口
駅 新幹線北乗り換え口 となりに埼京・川越線への階段が見える

特急券うりば
特急券うりば

東北新幹線は、おかげさまで30周年。
街とともに、人とともに30年。
東北新幹線は、おかげさまで30周年。

16両編成のMax
駅のエスカレータを登って、最初に、上越新幹線E4系Maxとき 16両編成!!

E5系はやて+E3系こまち
しばらくすると、E5系はやて+E3系こまちがやって来た。

E5系はやて+E3系こまち
大宮駅14番線に入選するE5系。LED前照がまぶしい。反対方向の10号車だけでなく、1号車にも連結機能を備えている。

E5系先頭車
長い鼻の先頭車両。となりの2号車と比べ、極端に定員が少ないのがわかる。定員は1号車はわずか29名、対する2号車は100名。

グランクラス10号車
ホーム中ほどまで歩き、グランクラス10号車。定員は18名と、グリーン車よりも極上の設備を誇る。

グランクラス10号車
グランクラスマークと、がんばろう日本!がんばろう東北!

E5系グリーン車
9号車グリーン車。定員55名。ちなみにE5系の総定員は731名と、E2系10両編成に比べ、80名以上も減少している。200系10両編成に比べれば4名少ないだけだが。

こまちと連結
E3系こまちと連結している。

E3系+E5系「なすの」
しばらくして、E3系+E5系を使用した下り「なすの」が17番線に入線して来た。大宮駅構内は暗くて動いている列車はシャッターがブレやすい。

E5系運転席まわり
E5系運転席まわり。

「はやぶさ」のエンブレム
E5系「はやぶさ」のエンブレム。

E3系+E5系「なすの」
E3系+E5系「なすの」発車。郡山へ向かう。

続きまして、その2へ続きます。


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開業当初の東北・上越新幹線車両

先日開業30周年を迎えた東北新幹線について書き込みましたが、今回は、開業当時の車両を紹介します。ただし2000年代と晩年の撮影のため、JRマークが入っている点はご勘弁ください。
東北・上越新幹線は現在、多種多様の車両・編成が走り、バラエティに富んでますが、開業当初、国鉄分割民営化までは、全て12両編成の200系でした。速達でも各駅停車でもとにかく12両編成で、面白味に欠けてました。

221型0番台
221型0番台。東京より先頭車両の1号車。トイレ・洗面所、業務用室を備え、さらに雪切室も備えたため、定員は45名。在来線特急(標準定員60名程度)やミニ新幹線の普通先頭車(56名)よりも少なかった。しかも開業当初はこの1号車だけが禁煙車であった。全列車全車両、首都圏では駅構内も禁煙の現在とは、隔世の感がある。

221型1500番台
221型1500番台車。0番台車より定員を5名増やし、240km/h対応とした先頭車。0番台車でも、240km/h対応改造した車両が多かった。
2012年でも現存するが、全てリニューアル車両。原型車は消滅。

222型0番台
222型0番台車。盛岡・新潟より先頭車両。定員55名と、先頭車両は業務用室・雪切室にスペースを取られ、やはり定員が少ない。
なお、この車両は222-35で、現在さいたま市の鉄道博物館に館内展示している。またこの車両には、前頭部に400系「つばさ」など連結する際の連結器が収納されていた。

222型1500番台
222型1500番台車。0番台車より定員を5名増やし、240km/h対応とした先頭車。0番台車でも、240km/h対応改造した車両が多かった。
2012年でも現存するが、全てリニューアル車両。原型車は消滅。

226型
226型。中間車両の偶数号車。パンタグラフを備える。定員95名で200系で最多。一部車両はパンタグラフを下ろして走行していた。

中間の偶数号車は全てこの226形だが、一方の奇数号車はバラエティに富んでいた。


225型0番台
225型0番台。奇数号車ではオーソドックスな車で、トイレと洗面台を備える。定員80名。12両編成を組んでいた当初は、3・11号車に連結されていた。

225型400番台
225型400番台。225型0番台と違い、左右対称のドア配置が特徴。行き先表示の部分にはトイレ洗面台の設備、反対側は車掌室に見えるが、車内販売基地を備える。定員70名。12両編成を組んでいた当初は、5号車に連結。奥の扉付近に小窓が見えるが、これは車販従業員の控え室の窓。反対側には器材置き場を備える。ちなみに東海道・山陽新幹線0系こだま号にも、同様の車両25型400番台があるが、そちらは売店となっていて、小窓の位置が若干高かった。

237型
237型。立ち食い式ビュッフェと、身体障害者設備を備える車両。定員28名。デッキ入口には、2人分の車いすスペースがある(デッキ近くの3列シートが2列になっている)。車いすに対応すべく、出入り口が広いのが特徴。トイレも車いす対応になっている。また、車内にも、車両を移動できるよう、専用の車いすも備えられていた。ビュッフェには公衆電話も備わっていた。奥にも扉が見えるが、そちらは業務用。9号車に連結されていた。

215型
215型。グリーン車。定員52名。出入り口が1か所しかない。反対側に車掌室を備える。12両編成を組んでいた当初は、7号車に連結されていた。しかし後年、11号車に移動された。

開業当初の12両編成定員は、885名であった。

以上、説明が足らないかもしれませんが、開業当初の東北・上越新幹線車両について説明しました。


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東北新幹線 30周年

きょうは、東北新幹線大宮~盛岡間が開業して、30周年を迎えた。

200系原型車
写真は開業以来の車両、非リニューアルの200系。すでに消滅している。 2005/07/31撮影

E5系 はやぶさ
東北新幹線最新鋭のE5系「はやぶさ」。2011/05/04撮影

30周年の記念列車が、やまびこ号として大宮から盛岡まで走ったのだが、使用車両は開業以来のオリジナル塗装の200系といえ、リニューアル車両で特に前頭部の雰囲気が違うため、好きでない。
また、懐かしの列車とはいえ、当時のダイヤを完全に再現したわけでなく、当時の雰囲気がでない。でも、当時のダイヤで走ると、他の列車の邪魔になるから、あえて現在の速度で走行している。
今でこそ、大宮~盛岡間は、最速の「はやぶさ」で2時間弱だが、開業当時の「やまびこ」は、同区間を3時間17分で走行していた。
現在のE5系「はやぶさ」と、開業当時の200系「やまびこ」のダイヤを比較する。

2012はやぶさ1号
東京8:12発→大宮8:37発→仙台9:48着→盛岡10:32着→新青森11:22着
所要時間東京~新青森間3時間10分、大宮~盛岡間1時間55分

1982やまびこ11号 大宮7:15発→仙台9:14着→盛岡10:32着
所要時間大宮~盛岡間3時間17分
「やまびこ」は仙台の他、宇都宮・郡山・福島・古川・一ノ関・北上に停車(くりこま高原・水沢江刺・新花巻駅は当時未開業)。
ちなみに各駅停車の「あおば」は大宮~仙台間2時間17分であった。
当時の国鉄新幹線は、速達タイプと各停タイプで愛称を使いわけていた。東北新幹線も東海道新幹線「ひかり」「こだま」にならって、「やまびこ」「あおば」と使い分けていた。しかし、「やまびこ」の停車駅が多様化していって、ほぼ各停に近い「やまびこ」が登場しややこしくなったため、1997年10月1日より盛岡・仙台行きを各停でも「やまびこ」に統合され、「あおば」の列車愛称は消滅した。那須塩原行きは1995年12月1日より、「なすの」の愛称を使用している(後に一部郡山まで延長)。同時に同名の在来線新特急(新宿~黒磯間)は、「とちぎ」に改名されたのち、2010年12月で廃止された。
在来線特急と比較して、当然ながら速く感じたが、現在の「はやぶさ」「はやて」とは隔世の感がある。
開業当初は1日の運転本数は大宮~盛岡間速達「やまびこ」が4往復、大宮~仙台間各駅停車「あおば」が6往復、合計10往復でスタート。
1か月後には盛岡行き2往復の他に、仙台行き「やまびこ」が2往復増便され、14往復体制となった。
以後増発に増発を重ねていき、現在は臨時列車含み東京口では90往復程度運行されている。

盛土の上ばかりを走り、防音壁のない東海道新幹線に比べ、高架橋の上ばかり走り、高い防音壁の東北新幹線は近代的であった。自分も東北新幹線沿線に住んでいたので(当時小学生)、列車が近づくたびに音で興奮した。盛土と高架橋では、列車の響きが違う。
高架橋を猛スピードで走る列車は、特に静かな夜に聞くと少し怖かった。今と比べ、当時の走行音は大きかった記憶がある。
1971年11月、東京・赤羽にて起工式が行われ、本来なら1976年度に東京~盛岡間まとめて開業予定であった。しかし、その後のオイルショックで、景気低迷などにより工事は進まず、東京~大宮間は反対運動が激しく、用地買収も進まなかった。(大宮~上野間は1985年3月14日、上野~東京間は1991年6月20日開業。盛岡~八戸間は2002年12月1日、八戸~新青森間、つまり東北新幹線の全通は2010年12月4日。最初の着工から全通まで39年かかっている。これは新幹線史上最長である)
そんな中、1978年には、埼玉県久喜市から栃木県石橋町(現・下野市)までの試験線、小山車両基地、小山駅新幹線ホームが完成した。当時の試験線は小山新幹線とも呼ばれていた。もちろん現在の東北新幹線の一部である。東海道新幹線開業前でも、神奈川県綾瀬市から小田原市までの鴨宮モデル線が1962年夏先行完成し、やはり試験電車B編成(1000型4両、他にA編成2両もあった)が1963年3月30日、256km/hの世界最速を記録するなど、ドラマを生んできた。その再現といえよう。
小山試験線では、山陽新幹線から移籍した961型試験電車による試験走行が繰り返された。前頭部排障器は積雪地帯走行を考慮してスノープラウ(雪かき装置)を取り付けた。この961型、山陽新幹線と東北新幹線の両方を走った、唯一の新幹線車両でもある。また、全国新幹線網形成に備え、耐寒耐雪構造はもとより、食堂車や寝台設備まで試作された車両だった。食堂車は東京~博多間など比較的所要時間の長い東海道・山陽新幹線で1974年9月に実用化された(2000年3月廃止される)が、新幹線の寝台車は現在に至るまで実用化されていない。
東北新幹線と東海道新幹線との直通運転は、1991年東京駅開業以来現在に至るまで実施されておらず、線路すらつながっていない。電源は交流25,000Vだが、東北・上越は50Hz、東海道は60Hzと、電気方式の違い(ご存知の通り東日本と西日本ではヘルツが違う)が理由に挙げられるが、これは技術的に可能で、長野(北陸)新幹線で運用されている。前述の961型も50/60Hz両用だったため、山陽新幹線から東北新幹線へ移籍が可能だった。在来線でも485系特急電車、EF81型電気機関車が交流50/60Hz 20,000V、そして直流電源1,500V対応であり、かつて特急「白鳥」、寝台特急「日本海」が大阪~青森間を日本海縦貫線、1,000km以上の距離を走破していた。
JR東海が東海道新幹線には16両編成・1323名定員以外の列車を乗り入れさせない方針(九州新幹線みずほなどの8両編成も)であるため、実現は不可能である。その意味で961型は山陽・東北新幹線を走った貴重な電車といえる。
961型電車は試験走行を繰り返したのち、1979年12月7日には、栃木県野木町(新野木変電所あたり)にて、当時の電車としては世界最速319km/hを記録した。
他の区間も工事は進み、962型試作車も投入され、試験走行が行われた。961型は東海道・山陽新幹線同様の青塗装であったが、962型は緑塗装で登場し、初めて緑の新幹線が登場した。また、東北地方や新潟地区という寒冷地・積雪地域を走行するため、耐寒耐雪構造が一段と強化された。前頭部のスノープラウと、主電動機の冷却風を取り入れる際の雪切室を設置が特徴である。
昔のテレビで、走行中の新幹線が雪かきする姿を見た記憶がある。猛スピードで雪しぶきを上げる新幹線は迫力があった。
そして1980年度より、962型の実績をもとに、東北・上越新幹線用の営業・量産車両、200系が登場した。1982年の東北・上越新幹線開業まで、12両編成36本、432両が製造された。以後も増加し、最終的には700両が製造された。
200系は東海道新幹線開業以来久々の新系列だけあって、技術が進歩している。
まず、車内ビュッフェ(軽食のイートインコーナー。現在の新幹線には食堂車共々ない)の公衆電話。現在は携帯電話の普及で、公衆電話をあまり利用する人はいないが、携帯のない時代、当時は公衆電話は必須であった。
東海道・山陽新幹線では通過する沿線自治体にしか電話がかけられず、かつ交換手が手動で接続していたのが、東北・上越新幹線では、日本全国に通話でき、自動接続となった。電話もダイヤルホンから黄色のプッシュホンに変わった(当初は100円硬貨専用のコイン式、その後カード式に変更)。

237型ビュッフェ内部
ビュッフェ内部。車外から2002/08/05撮影。
ビュッフェ内の速度計も、0系の扇状アナログメーター(260km/hまで表示)から、デジタル表示に変わった。
車内設備も、リクライニングシートを全面採用した。2列シートは回転できるが、3列シートは当初回転できず、車体中央を境界に進行方向にデッキに向けてそむける形となった。窓枠も車内側は、アルミ枠から、航空機のようなFRP(強化プラスチック)製となり、斬新な印象となった。
運転席も進化し、0系では計器類は全体的アナログだったのが、デジタルメータに変わり、列車の運転状態を知らせるモニタリングディスプレイも設置され、管理の省力化が図られた。もっともカナ英数字しか表示せず、現在の新幹線運転席や、パソコンから見ればいささか古風な感じだが、当時のコンピュータでは主流で、斬新な鉄道運行管理であった。新幹線もデジタル時代に突入といったところか。
もっとも、安全の要であるATC(自動列車制御装置)は従来の東海道新幹線同様、段階的に速度を落とすアナログ方式であり、ATCブレーキ作動時は常に強めのブレーキで、大きく揺れた。特に、駅に停車する時など低速走行に作動するATCは衝撃が大きく、車内デッキでしゃがんでいた時、コケたことがあった。
衝撃なく一気に速度を落とせるデジタルATC(DS-ATC)が登場するのは、21世紀に入ってからである。
200系電車は、新幹線車両初の正式系列が与えられた車両である。従来東海道・山陽新幹線の車両は、系列で呼ばれず、単に「新幹線電車」とか、「ひかり号(またはこだま号)電車」と呼ばれていた。200系の登場により、東海道・山陽新幹線の車両は0系と呼ばれるようになり、100系登場後は新幹線旧型車両の呼び方として定着していった。
200系が登場すると、従来の0系は一気に陳腐化するようになった。1964年、東海道新幹線が開業して以来毎年増備が行われ、広窓が小窓になったり、転換クロスシートがリクライニングに変わるなど途中マイナーチェンジが行われていったが、基本的設計は1964年以来、全く変わらず、東北・上越新幹線開業後増備され、200系に準じた設備の0系2000番台車でさえ、古くさく見えた。
現在では、車内放送はどの駅到着でも同じメロディだが、開業当初は、駅に到着のつど、ご当地メロディが流れた。小山駅なら小山音頭、北上駅なら北上夜曲といったご当地の民謡など、停車駅が
近づくと、流れた。1991年6月の東京駅開業まで続いた。
車内の設備も、当初は奇数・偶数号車で異なっていた。トイレ洗面所の有無だけでなく、車内配色も異なっていた。奇数号車はオレンジ(茶系統のグリーン車を除く)、偶数号車はグリーンを基調にし、カーテンやデッキの壁で表現していた。これも1991年6月の東京駅開業に前後して、奇数・偶数号車共内装は統一されてしまった。

以上、開業当初を中心に書き込んでしまいましたが、30周年を迎えた東北新幹線にまつわる話でした。


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生活保護の厳格化反対

先日、次長課長の河本準一さんが、お笑い芸人として売れていながら、彼の母が生活保護を受給していた問題を機に、生活保護の受給基準を厳格化する動きがあるが、果たしてどうだろうか。
今より生活保護制度が厳格化すれば、受給者はずっと減る気がしてならない。
国や自治体は、貧しい人々を助けるのが義務である。
生活保護で競馬・パチンコとかギャンブルに使う者など、不正に受給する者は許しておけないが、本当に貧困にあえいでいる住民が困ってしまう。大震災の被災者は、本当に困ってしまうだろう。

かつて、厳しい生活保護のために、命を落とした人もいた。
1994年夏、埼玉県桶川市の79才(当時)の生活保護を受給している女性。
老婆は、自宅にクーラーを設置していた。ところが、市役所の職員が来て、「生活保護を受けていますよね。でもクーラーはぜいたく品です。クーラーがあると、生活保護、安くなっちゃいますよ」とか言って、部屋のクーラーを取り外してしまった。
その結果、老婆は猛暑により脱水症状を起こし、死亡してしまった。
1994年の夏は、猛暑に加え水不足の年。
当時はクーラーは生活保護の対象外であった。(現在は生活保護者でもクーラー取り付けは可能になっている)
お役所仕事の悲劇でもある。市が死なせたのである。これは贈賄事件など不祥事の域を超えているのは当然である。

生活保護は「健康で文化的な最低生活」に必要なのべきで、国や自治体も、法や職員の不備で住民を死なせてしまったのでは、当然罰せられる。
また、生活保護に抵抗を感じ、かたくなに受給を拒否する者もいる。
「ほどこしはいやだ」といって、生活保護を拒否し、10年間何も食べず、風呂にも入らず、寝たきりのまま死んでいった者もいる。
この場合も、自治体が責任を問われるのである。
たとえ貧困な者でも、自治体管轄の住民である。
世の中は、はっきりしないことが多いが、死んだことだけははっきりしている。
役所が責任を問われないようにするためには、全ての住民が健全な生活を保証できるようにしなければならない。政府が住民を殺してはいけない。生かすのが義務である。当然です!!



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懐中電灯付ラジオ

今年の夏は、原発が1基も動かない可能性も出てきており、原発数基が動いていた昨年に比べ、電力が不足する事態が心配されます。
万一停電に備えて、懐中電灯などを用意しませう。
できればラジオ付懐中電灯がいいです。
思えば振り返ること2011・3・11、東日本大震災当日の夜、停電して真っ暗になり、懐中電灯一つで夜を過ごさなければなりませんでした。
停電でTVも見れず、携帯電話も当時電池残量が半分以下で使う気になれず、懐中電灯と共にラジオで情報を得ていました。

懐中電灯付ラジオ

懐中電灯付ラジオ
停電時に活躍した懐中電灯付ラジオ。AM・FM放送が聞けます。単3型電池2本で動く。

点灯中
点灯中

ラジオの中身
さて、中身を分解してみました。中学時代、ハンダこてして自作したラジオを思い出します。わーあ、コンデンサーやカラーコード抵抗器など懐かしいパーツがいっぱい。

ラジオの中身
音量調整部分周辺。コンデンサーや抵抗器などが所狭し並ぶ。

ラジオの中身
周波数調整部分周辺。トランジスタも見える。

ニップル球
電球部分。通常の豆電球ではなく、先のとがったニップル球(2.2V0.25A)を使用している。ニップル球は寿命が5時間程度と短いのが難点。電池だけでなく、電球も買いおきしておく必要がある。

外見は良いデザインの懐中電灯ですが、古典的で懐かしい中身のラジオでした。


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昭和の華やかさ

あ~あ、世の中本当に本当に不況だな。
2008年秋のリーマンショックは、ただものでなかった。2012年の今、再びその危機が訪れそうな予感。
世の中、経費削減がうるさく言われているだけに、高度経済成長期の昭和時代がうらやましい。

8時だヨ!全員集合

屋台崩し

屋台崩し

屋台崩し
中でも象徴的なのが、ザ・ドリフターズ演じる「8時だヨ!全員集合」という番組。1969年10月から1985年9月にわたって放送された。毎週土曜夜8時~8時54分。
その間、オイルショックに伴う大不況を2回(1973年と1979年)経験したのだが、当時の日本はそのくらいでめげなかった。
全員集合の醍醐味は、なんといっても番組前半20分前後にわたる、メインコントの屋台崩しだろう。学校コントや会社コントではそんなの無かったが、やっぱり屋台崩しは見てて爽快。
しかし今思えば、よくもまあそんな派手なセットを毎週毎週作ってて、その上毎週毎週派手に作ったセットを、派手にぶっ壊していた。しかも毎週生放送。後半のショートコントでも、セットに金がかかっているにちがいない。全員集合は当初、日本全国で公演していたが、やがて関東一円に落ち着いた。東京の渋谷公会堂や日本青年館、埼玉の大宮市民会館、千葉の船橋ららぽーとなどで公演していた。
私も渋谷へ公演に見に行ったことがある。番組元のTBSへ人数分応募して、招待ハガキが郵送されて入場できた。ただし5才未満は入場できなかった。有料ではなく、無料で入場できた。
見ているTV視聴者や客は楽しいが、ドリフメンバーやスタッフの人々は大変だったと思う。派手に壊れるセットを作ったスタッフは、相当の腕があったんだろう。
また、現在に比べて道路など、インフラが貧弱であり、特に大道具など壊れるセットを作った機材を運ぶのは大変だったと思う。道路渋滞も今に比べ多かったはず。高速道路も今ほど充実してないし。
おまけに、16年間で延べ3000人と言われる大勢の豪華ゲストも出演し、歌謡曲を歌うだけでなく、ドリフに伍してコントをも演じていた。と思うと、昭和の芸能界は凄い時代だったことがわかる。
昭和40~50年代当時の日本は、高度経済成長の真っただ中。右肩上がりの時代であり、どの企業も財政に余裕があったのだろう。
21世紀の現代では、そんなの不可能だろう。セット作るにも、大変な金がかかるし、今の時代はコスト削減が求められるため、無理ではないか。
それに、今のお笑い芸人はかつてのドリフほど気迫がないし。
今は寂しい世の中、あーあ昭和にタイムスリップしたい。でも携帯電話はない時代だし。固定電話、公衆電話の時代だが。



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家庭用Wi-Fiルータ

私は、自宅にいるときはほとんどネットに依存しています。
PCもスマートフォンも、今やほとんどWi-Fi接続です。
今年2月までは、Wi-Fiにはほとんど興味がなく、その仕組みも全く知りませんでした。それが、イーモバイル機種変で、急にWi-Fiに興味を持つようになりました。

D01NX接続中

D01NX
イーモバイル D01NXをPCカードスロットに差しこんでネット接続していました。

3G接続スマートフォン
ケータイ・スマートフォンは単体で電波のやり取りをしていました。
つまり、PCとスマホで通信方法が別々でした。

GP02
イーモバイルをGP02へ機種変し、Wi-Fi接続。
スマートフォンも、PCも同じ方法、Wi-Fi接続となりました。その分、GP02が毎日フル回転し、1日1~3回も充電するなど、充電池に負担がかかってました。このままでは充電池が早くダメになってしまう・・・

そこで、家庭の電話回線に、Wi-Fiルータを接続しました。
自宅はフレッツ光回線を契約しているため、フレッツのモデムにルータを接続しました。

ELECOM Logitec LAN-W300N/R
ELECOM Logitec LAN-W300N/R
3000円以下で買えた。最も安い機種だが、2階建ての一軒家なら充分でしょう。
NTTからルータをレンタルする方法もあるが、毎月レンタル料金を払いたくないんで、家電量販店で購入した。

ELECOM Logitec LAN-W300N/R
青色LEDが美しい。WLANは点滅している状態。

ELECOM Logitec LAN-W300N/R

PR-S300NE
フレッツ PR-S300NEに接続している。5月上旬より使用している。
Wi-Fi設定はPCはWi-Fiルータ付属のCD-ROMを使い、スマートフォンはSSID入力後、初期暗号キーをパスワードとして入力します。

PCでの接続状態は、

PC Wi-Fi接続中

PC Wi-Fi接続中
想像の90Mbpsよりかなり遅いが、これでもイーモバイルより通信速度は早い。

スマートフォンでの接続状態は、

スマホ Wi-Fi接続中

スマホ Wi-Fi接続中
logitecuserで接続中。リンク速度65Mbpsとあるが、実際はかなり遅く、5~10Mbps程度です。
それでも携帯などに比べて通信速度が格段に速く、初めて使用したときは、あまりの速さに驚きました。3Gやモバイルルータでは遅くてイライラしていました(1~3Mbps程度)。
なお、logitecuser、logitecgameuserの2種類があるが、
セキュリティの違いのみである。
logitecuserが、WPA/WPA2 PSKに対し、
logitecgameuserは、WEPによるセキュリティである。
実際の接続状態は、何ら違いなく、どちらで接続しても支障ありません。

自宅ではlogitecルータ、外出時はイーモバイルルータを使用することで、私のスマートフォンはもはや実質Wi-Fi専用機になってしまいました。
3Gデータ通信は、切断してます。私の場合、ケータイメールは1日2通しか来ないので、3Gデータ通信はケータイメール閲覧時のみ行います。それ以外3Gは切断してます。
1日何十件もくる迷惑メールは、受信しない設定とします。必要な特定メールだけ受信する設定にしました。
その結果、Wi-Fi接続前は毎月500万~800万パケットだったのが、先月(5月)は1万パケット以下にまで激減しました。おかげでキャリア(携帯通信業者)の通信制限に引っかかることもありません。



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17年の長さ

きょう、関東地方も梅雨入りしました。これで日本列島の大半が梅雨入りしました。
約1ヶ月半、ジメジメの季節がやってきます。晴れの日も少なくなりがちで、うつになりそうです。

さて、今から17年前の地下鉄サリン事件の実行犯で、唯一逃亡を続けている高橋克也容疑者(54)、川崎市内で目撃情報が多数寄せられているが、足取りがつかめない状況。
防犯カメラを異常に意識しているようで、鉄道などの交通機関を利用しない。
カメラを徹底的に避けているようだ。
「東京は警察官が多いから良くない」
「田舎より都会がいいが、東京はダメ」
「防犯カメラが多いので、飛行機や新幹線は使わない方がいい」
以上、菊地容疑者の証言。
最近では新幹線など列車内でも防犯カメラが設置されている車両が増えている。また、JR埼京線や京王電鉄など通勤電車でも設置されていることがある。
既に平田 信(まこと・47)、菊地直子(40)容疑者が逮捕され、事件は17年にして急展開を迎えた。
1995年3月20日、週末明けの朝8時ごろ、大勢の地下鉄通勤客を襲ったオウム真理教(アーレフ)信者によるサリン事件。ラッシュ時の電車内に充満した猛毒サリンガスにより営団地下鉄(現・東京メトロ。そもそも営団地下鉄、電車の前面にあったSマークや、薄い緑色の制服が懐かしい)日比谷線・千代田線・丸の内線の3線で12人が死亡、6000人以上が重軽傷を負う、前代未聞の大量無差別殺傷事件となった。

サリン憎い!!
事件翌日、1995年3月21日付の新聞一面。当初死者6人、被害者3200人超すとあるが、次第に増えてしまった。

1995年当時といえば、阪神淡路大震災の発生直後。阪神間の鉄道は神戸市内で寸断されていて、暫定的な終着駅で折り返し運転を行なっていた。
山陽新幹線は新大阪~姫路間が不通であった。そのため、東京からののぞみ号は、4月8日全線復旧まで新大阪駅で折り返し運転を行なっていた。当時は山陽のみならず、東海道新幹線でも0系がまだまだ現役であった。ただ、0系食堂車は大震災を機に営業休止した。
阪神間のJR神戸線・阪急神戸線・阪神本線が全線復旧するのは、同年4月から6月にかけてである。

1995年当時、インターネットは黎明期であり、一般的でなかった。
携帯電話は持っていなかった。基本料金が今よりずっと高く、通話機能しかない。電話帳メモリも、カナ入力が主体で、漢字変換できる機種はなかった。しかも携帯の通話料金は従量制、時間帯や距離に応じて増減。無料通話分は基本料金に含まれてない。
一般人はポケベルが主流だが、私はそれすらも持っていなかった。
PCの主流であるWindowsも、まだ3.1であった時代(そもそも当時の私はPCをあまり知らなかった)。Windows95は、この年の11月発売。以後爆発的にインターネットが普及していく。しかし当時は、固定回線でも最大64Kbps、ダイヤルアップの従量制通信料金だった。使いすぎに気を使う必要があった。
PHS(簡易型携帯電話?)もこの年秋に発売開始していった。
私は当時携帯もPCもなく、ワープロしか持っていなかった。

CASIO PX-9

CASIO PX-9
私が当時持っていたCASIOワープロ PX-9
もちろんインターネットの接続環境もない。
メディアはもっぱらTVやラジオ、新聞であった。
音楽を楽しむとあれば、CDラジカセであり、MDプレイヤーはなかった。
音楽を録音するなら、カセットテープの時代。TVを録画するならビデオテープ。いずれも再生後には、巻戻ししてもう一度見ていたか、見たくない、あるいは聞きたくない場面を飛ばすため早送りしていた。あー巻戻し早送りに時間かけていたのが懐かしい。1曲あたり巻戻すのに10秒以上かかっていた。
デジタルカメラも持っていなかった。そのため写真撮影も貴重だった。高いフィルムを買わなければ撮影できなかった。
デジタルとアナログが共存した時代であった。

2012年現在は、インターネットはスマートフォンもPCも高速Wi-Fi接続、もちろん料金は定額制で通信し放題。料金を気にせず利用できる。音楽鑑賞はCDやカセットでなく、インターネットで鑑賞することが多い。ラジオも住んでいる地域だけでなく、日本全国の放送局を聞ける。
ニュースなども、たいていスマホあるいはPCで情報を得る。ビデオもDVDも最近見ない。動画サイトYouTubeを見ることが多くなった。
など、オウム事件の当時とは大きく違う。
私も当時青年だったのが今は中年に突入した。頭も白髪が増えてきた。
17年という歳月の重さを改めて感じた。



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オウム 菊地容疑者逮捕

6月3日午後、1995年3月20日地下鉄サリン事件が発生した際、オウム真理教(アーレフに改称)の実行犯、元信者で全国指名手配の1人、菊地直子容疑者(40)が、相模原市内で逮捕された。事件から17年。
逮捕当時は、相模原市内に潜伏し、「高橋」を名乗って生活していた。
近隣住民らは、びっくりしていたようだ。「まさかこんな近くに住んでいたとは」
しかし、指名手配の写真と全くイメージが異なり、丸々ふっくらしていた顔は、やせこけて、すっかりオバサンになっていた。

菊地直子容疑者

事件当時は23才、現在40才とはいえ、女性って、年月が経つとこんなに変わるのかと、感心したというか、がっかりした。
地下鉄サリン事件に関わった実行犯では、昨年の大みそか、平田 信(まこと・47)容疑者が丸の内警察署へ出頭し、翌日の2012元日、監禁致死の容疑で逮捕されている。
今回の菊地容疑者逮捕で、2人目となり、残るは高橋克也容疑者となった。

私は今回の菊地逮捕で、1997年7月、長い逃亡生活の末逮捕された福田和子を思い出した。
1982年8月19日、愛媛県松山市内で、同僚のホステスを殺害する事件があり、容疑者である福田は、顔の整形を繰り返し北陸地方を中心に潜伏生活をしていた。
まずは東京へ来て整形手術を行い、一重まぶたから二重まぶたにした。
最初は金沢市内で和菓子屋の女将をつとめ、順風満帆にゆくはずだった。
ところが、息子が運転免許証を落としてしまったのをきっかけに、所在がバレてしまい、金沢を後にしなければならなかった。
その後は、名古屋でホテルの清掃員を務めて、しばらくして、福井市内に潜伏した。このまま行けば、当時の時効15年を迎えるかに見えた。
しかし、1997年7月29日、彼女は逮捕された。スナックの一人が、容疑者と疑ったのである。顔つきが似ていて、ある日彼女が握ったビール瓶を調べていた。
警察に監査し、指紋を調べた結果、「福田和子」と判明した。
事件から14年11箇月あまり、時効までわずか3週間であった。
顔つきも大きく変わっていて、別人のようだった。事件当時34才、逮捕時49才、15年の間整形と加齢によりすっかり顔つきが変わった。
福井市内で逮捕された福田は、福井駅から朝イチの特急で新大阪、新幹線で岡山へ、駅構内や列車内は大騒ぎになった。
そのため、岡山駅からは警察の車で松山東警察署へ移動した。
事件以来15年ぶり、彼女は四国へ里帰りしたのであった。瀬戸大橋を渡るのも、初めてであっただろう。
1982年の事件当時瀬戸大橋は建設中で、宇高連絡船が本四連絡のメインであった。瀬戸大橋は1988年4月10日、道路(瀬戸中央自動車道)、鉄道(JR瀬戸大橋線)共に開通。

現在は、殺人や強盗致死罪など、死刑に相当する罪の時効はない。
かつて、公訴時効は15年であったが、2005年1月1日より25年へ延長された(1990年以降の未解決殺人事件などが対象)のち、2010年4月27日より、時効が撤廃された。
もう、人を殺したって15年も逃げ回れば大丈夫ではない、自由になれない時代。
今後、どれほどの容疑者が逮捕されるのだろうか。


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LISMO WAVE

LISMO WAVE
きょう、auスマートフォンですごいアプリを見つけてしまいました。
今さらながら知ったのですが、LISMO WAVEで日本全国のFM放送、それもコミュニティFM放送ではなく、TOKYO FMやbayfm78、FM802、Kiss FM KOBEなどメジャー局が聞けるというものです。ただし、放送権利の関係上、一部放送されない番組がございます。
auスマートパス(月額390円で有料アプリ取り放題)の会員に加入すれば楽しめます。

LISMO WAVE
北海道から沖縄まで52局のFMが、地域に関係なく聞けるのです。Wi-Fiか3G回線がつながっていれば聞けます。

LISMO WAVE FM三重
FM三重を聞く。関東にいて。

LISMO WAVE FM802
大阪、FM802を関東で聞く。

LISMO WAVE FM OSAKA
FM OSAKA。
関東で関西や中部のコミュニティFMは以前からネットで聞いていたが、メジャーFMを聞くのは初めてです。
従来ラジオは放送電波によって、自分のいる放送局の近い地域しか聞けないのが常識でした。
それが日本全国、地方に関係なく聞けることには、驚いてしまいました。インターネットが普及し、LISMO WAVE、TuneinRadio、rajikoと、もはやラジオはインターネットで聞く時代といったところか。
できればLISMO WAVEで、AM放送も追加できないでしょうか。そうなれば日本全国全てのラジオ放送局をサーフィンできて最高だろうな。

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スマホを着せ替え

今年も6月に突入しました。いよいよ暑い夏へ突入します。
さて私は、自分のスマートフォンを着せ替えてみました。シェルジャケットを買ってきました。地味に見えるスマホを少しビジュアルに見せようと。

シリコンカバーを装着
それまでもスマートフォンにはカバーを付けてましたが、シリコンカバーで、衝撃に強いものの、持ち心地がいまいち。これから暑くなる夏には、持ちづらい。それにポケットに引っかかって入れづらい。操作する時もフチの凸凹が気になってしかたない。何かゴジラのぬいぐるみを着せてる感じです。

3Hハードコーティング
そこで私は、ハード、シェルジャケットを買いました。3Hハードコーティングといって、3H鉛筆の先端でひっかいても傷がつきにくいものです。

赤・黒のグラデーション
今回は、赤・黒のグラデーション。やや高級感な感じです。本当は金色もあったのですが、装着するのが恥ずかしくって、赤にしました。
少し見づらいですが、半透明になっています。
ディスプレイに張り付けるフィルムも2枚同梱していますが、機種変してすぐにフィルム貼っていて、まだまだ持つので今回は張り替えません。

裏面
裏面です。

シリコンカバーとシェルジャケット

シリコンカバーとシェルジャケット
シリコンケースと比較します。薄手なのが特徴です。

IS13SHとA5503SA
スマートフォンIS13SHにシェルジャケットを装着してみました。右は私が昔使っていたau A5503SA(2004年)です。もう7年以上も使ってないのに、今まで保存していました。
A5503SAは、au初のFMラジオ搭載ケータイでした。地上波FM放送です(現在のスマートフォンはLISMOWAVEで日本全国のFM放送を、TuneinRadioで全国コミュニティFM放送や全世界のFM放送を聞くことができます)。また、閉じても正面キーでサブディスプレイを操作でき、メールやウェブ閲覧ができました。通信方式はCDMA 1X方式です。
なお、au CDMA 1X通信方式(Aシリーズ)は、cdmaOne、CDMA 1X WIN ICカード非装着機種共々、今年7月22日を持ってサービスを終了する予定です。

IS13SHとA5503SA

IS13SHとA5503SA

IS13SHとA5503SA
ジャケットを着せ替えて昔のケータイとおソロにしてしまいました。
つまらない記事ですが、スマホはジャケットの着せ替えができる利点があります。


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