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1月も終わり

今年も早いもので1月が終わる。

寒すぎてつらい。肌に突き刺さるような寒さでつらい。

体は暖かいが足元は冷える。ここ毎日頭痛、関節痛がしてならない。

頭を温めるより足元を温めるのがいちばん。頭だけ温めて、足が冷たいのは意味ない。ポッとして辛い。仕事もはかいかない。

だんだん暖かくなっていくが、春は遠い。かと言って花粉症も覚悟しなければならない。

去年は猛暑に加え、11月あたりまで暑かったから、スギ花粉は例年の6倍にもなるとか。

今書き込んでいる最中でも、頭が重くってつらい。


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きょうは雪


きょう、朝は雨。比較的暖かったのに、昼前から雪に変わった。朝より昼が寒い。

関東地方で今年初めての雪。しかし水分が多く、みぞれ雪。水気が多くて歩きにくい。車も運転しづらい。積もっているところは車が発進しにくい。夏タイヤでは空転する。ブレーキをかけると、ABSが働くものの、やはり怖い。

今夜は凍らないから大丈夫だけど、翌朝は晴れ。凍結に気をつけなくっちゃ。

都心でも8cm積もっている。電車もダイヤが混乱している。

高速道路はほとんど通行止め。やはり翌朝の凍結が心配。

凍結した道路(アイスバーン)はブレーキかけて滑って行きそう。以前アイスバーンで急ブレーキをかけ、あわや電柱に衝突して事故りそうになったから、気をつけなければ。


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休み明け



楽しかったというか、私の長かった休みもきょうで終わり。

明日から月曜日、仕事。がんばりましょう。

まだまだ寒~い日が続きますが、風邪には気をつけましょう。

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平成25年と元年の違い その2

その1の続き。

今でこそアイドルはAKB48グループ一辺倒な感じですが、平成に入る頃には、乙女塾系などマイナーというか、コアというか、一部の男性マニアにしか好かれないアイドルばかりでした。CoCo、Ribbon、Cotton、田村英○子、中嶋美○代etc・・・
鳴り物入りでシングルデビューしても、いつしか消えていき、今ではそんな歌手いたっけ、と忘れられた存在も多いです。
それでも最近の茶髪ギャルに比べ黒髪で清楚な女が多かった気がします。
バブル時代の若い女はワンレンソバージュの髪型にびしっと決めたミニスカスーツ、おやじギャルが多かったが、当時のアイドルはフリフリの衣装が多かった気がします。可愛かったのに、イカ天などバンドブームに押されて、アイドルは冬の時代な気がしました。
たまたまライブや小さなイベントに足を運ぶものの、バンドファン、ニューミュージックファンにも一般の人々などからも冷たい視線を浴びせられ、肩身が狭い思いをしたものです。
ライブやイベントで撮影しようにしても、撮影禁止の場合が多く、隠れて撮影するしかありませんでした。見つかると、フィルムを没収する者もいたそうです。
また、撮影できても、現在ならデジタルカメラでこっそり極秘にPCに取り込むことができますが、当時はフィルムを写真屋にDPE現像出さなければならず、写真が出来上がって、風景写真ならともかく、アイドルなら確認されるのが恥ずかしかったでしょう。
ましてエロ写真なら、現像の時点で拒絶されたでしょう。
エロならともかく、アイドル写真なのに拒絶された店もまれにありました。
いずれにしろ、撮影内容が第三者に知れ渡って、内容によっては嫌な顔をされてしまいます。

鉄道車両は、平成初期当時、大手私鉄ではVVVFインバータ制御車両が登場し、増え始めていましたが、JRはまだまだ国鉄型車両が大多数を占め、電車の大半は昔ながらの抵抗制御でした。
「走るんです」などの低コスト車両なんてありませんし、今より車両はまともなつくりで、長期間使用することを前提に製造していたのです。
何しろバブル時代の真っ只中で、長引く不況がくるとは思ってなかったでしょう。
JRにおけるVVVFインバータ制御車両は、常磐緩行線207系900番台車、10両編成1本だけでした(私はついに見れませんでした)。
通勤車両では103系や113系など、特急車両では485系が圧倒的でした。165系、457系、キハ58系といった急行型車両も多数活躍していました。もっともその頃、JR急行列車は極めて少なくなってましたが。
最新式でもJR東日本で言えば、通勤車両は205系、特急車両は651系(初代スーパーひたち)でした。いずれも界磁添加励磁制御といって、省電力に貢献するものの、抵抗制御同様動力に直流モーターを使用するためカーボンブラシの交換が必要で手間がかかり、今から言えばやや古い制御方式でした。
中央線快速では201系マンセーの時代。こちらはチョッパ制御で、やはり省電力に貢献するものですが、チョッパ装置の制作コストがかかりすぎて、国鉄末期の財政を苦しめさせたものです。
界磁添加励磁制御同様、動力に直流モーターを使用するため、やはりカーボンブラシの交換は必要でした。
VVVFインバータなら、交流モーターのためカーボンブラシの交換は不要です。

自動車の場合、平成初期はもちろんETCなんてありません。すべて現金車両でした。ハイウェイカード(ハイカ)もありました。
入口で通行券を受け取り、出口で通行券や料金を渡していました。このため料金所で車は必ず一旦停止していました。
均一料金の首都高や中央道高井戸~八王子間などでも、現金支払いまたは回数券を渡していました。
首都高は当時東京都内600円、神奈川県内400円均一でした。
5号池袋線は竹橋JCTから高島平どまり。大宮へは17号新大宮バイパスを通って行ったものです。
関越道へも東京外環道がまだなく、練馬ICから乗るには、目白通りなど一般道を使うしかありませんでした。
また、湾岸線は横浜ベイブリッジが開通したばかり。レインボーブリッジも建設中でした。このため箱崎JCTを先頭にした渋滞がどこからも激しかったです。
また外環道もないため、代わりに首都高川口線や三郷線が上下とも渋滞しまくってました。そのあおりで6号向島線は現在も名物の両国JCTを先頭の上り渋滞のみならず、堀切JCT先頭の下り線も渋滞が多かったのです。
羽田空港も現在のように広くなく、高速湾岸線は東海JCTから大黒JCTまで未開通でした。そのため東海JCTから昭和島JCTへ1号羽田線へ合流、その影響で神奈川県内の横羽線は羽田~生麦間でしばしば渋滞しました。その横羽線の渋滞を避けるべく、第三京浜の車も多かったです。
第三京浜は平成初期まで、普通車の通行料金、特に5ナンバー以下の料金が安かったです。普通車は全線通行の場合、3ナンバーは250円ですが、5ナンバーは150円、軽自動車や二輪車は80円でした。
1995年に改定が行われ、普通車全車両250円、軽二輪150円になりました。横浜新道も同時に、普通車100円で、戸塚料金所を通過する場合のみ徴収していたのが、200円に値上げされたばかりでなく、第三京浜、首都高三ツ沢線などから横新を通過し保土ヶ谷バイパス、横浜横須賀道路へ向かう車、今井~川上間など無料で通過できた区間からも徴収するようになりました。三京や横新の値上げ、建設費償還が終わって、無料化を期待する矢先に大幅値上げするなんて、怒りを覚えたドライバーも多かったことと思います。それでも首都高や東名高速よりは大幅に安いから許せますが。
東名高速は平成初期は東京~厚木間のみ6車線でした。大型連休になると、必ず大和トンネル、伊勢原バス停、さらに当時片側2車線だった都夫良野(つぶらの)トンネルも渋滞したものでした。
現在は東京~御殿場間6車線、大井松田~足柄SA間は7車線です。
中央道は全線4車線。小仏トンネル、当時片側2車線だった談合坂SA(現在に比べてかなり狭かった)、中野トンネル付近、さらに笹子トンネルでしばしば大渋滞したものです。
平成初期には長野(北陸)新幹線どころか上信越道もなく、東京から軽井沢・長野市などへは、スキーなどへ行くにはバスで行くのは夜行だったため、信越本線エル特急「あさま」の独壇場だったと思います。車で行くのなら関越道で藤岡(群馬県)まで行き、そこから国道254号で軽井沢・佐久へ、18号で上田・長野へ向かって行くのだが、特急電車に比べて時間がかかったでしょう。そのためバスなら夜行に限りました。
信越本線は横川~軽井沢間(1997/10/1廃止)にJR最急勾配の碓氷峠(通称横軽・66.7パーミル)を抱えていて、普通列車も特急列車もすべて横川・軽井沢駅に停車しなければなりませんでした。急勾配対策として、長野・小諸方面は登る時、電車だけでは登坂力不足のため、高崎・大宮方面は下り坂で暴走防止のため、いずれも横川駅側に補助機関車EF63を2両連結しました。機関車連結・解放のため両駅で5分停車していました。
横川駅ではその停車時間を利用して、峠の釜めしを買う乗客も多かったでしょう。
小諸駅は、特急も全列車停車していたため、今より繁栄していたことでしょう。現在は新幹線は佐久平経由になり、小諸市の衰退が激しいようです。

車に乗って、燃料の給油は、今でこそセルフサービスが主流ですが、平成初期はセルフサービスのスタンドは考えられなかったことです。
危険物取扱法がネックで、資格を持っているか、アルバイトか、とにかく店員でなければ給油できませんでした。
現在は大きくて綺麗なスタンド、もちろんセルフが主流ですが、平成初期は、田舎にある、老夫婦が経営しているようなごく小さなガソリンスタンドもがんばっていました。
エンジンオイルも今ではカーショップで交換するものを、やはりスタンドで交換していました。

また、現在では個人主義・個人消費が進行していますが、皮肉にも大型店舗や大手コンビニチェーンが普及し、個人経営の小さな商店が少なくなってきている時代です。「○○商店」「××酒店」「○○米穀店」「○○精肉店」「××薬局」、そして小さなタバコ屋など、もはや絶滅の危機に瀕している感じです。
「餅は餅屋」というように、平成初期までなら酒は酒屋、タバコはタバコ屋、コメは米屋、野菜果物は八百屋、肉は肉屋、そして薬は薬屋と、個人が経営する小さな専門店舗で買ったものですが、今それらは大型スーパー、ショッピングモールなどでも買える時代です。やはり規制緩和の結果でしょう。
イオン
(写真はイメージです)
今や日用品のお買い物は大型スーパーやショッピングモールがメインの時代です。
ドラッグストアでも、薬品だけでなく、キッチン・入浴用品、飲料や食料品、酒やタバコなども買えます。今は便利な世の中ですね。
その結果、個人経営の小売業が壊滅的被害を受けたのです。
郊外の国道・県道、バイパス沿いのショッピングモールが発展する一方、駅前や旧道を中心とした商店街はシャッター通り化してしまったのが現状です。
シャッター通り?
(写真はイメージです)
古い商店街の場合、特に建物が古く、商品のジャンルも店名通り1つしかなく、さらには駐車場がない、あっても狭いなど旧態依然としていて、生活の多種多様化や車社会の時代に対応できなかったのが敗因でしょう。
「ALWAYS 三丁目の夕日」まではいきませんが、古くささは否定できないです。
また、ドライブで休憩・食事する場合、今ならファミレス、道の駅、そしてコンビニ駐車場などで休憩しますが、平成に入る当時は、ドライブインや個人経営の大衆食堂などで休憩したものでした。いずれもバイパスでなく旧道に多かったです。
大衆食堂
(写真はイメージです)
コンクリートの床に背の高いテーブルや、動かすとゴーゴーうるさい座面の小さい4本脚のイス、味はまあまあのラーメン、野菜炒め、カレーライスなど(映画トラック野郎を思い出した)、大して美味しくなく、客はおっさんばっかりだったけど、人情ありました。
今のファミレスでは、木張りかコルク(リノリウムの場合も)張りの床にソファー、味は網焼きハンバーグなど美味しいのだが、とことんマニュアル教育された店員で少し味気ない気がしますが。


以上、記事が長くなってしまい、25年も経過すれば隔世の感があり、まだまだ書き込みたいのですが、キリがないので、ここで終えますが、また思いついたことがあれば、追加していきたいと思います。


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平成25年と元年の違い その1

今年は、2013年。
平成も25年目へ突入します。
先ほど幼女殺害事件のはなしをしましたが、ネット全盛の昨今とは違い、事件当時の1989(平成元)年は、今では考えられない不便な生活をしていました。いくら同じ平成でも、2013(H25)年と、1989(H1)年では大きく違います。
といっても当時では全く気付かないようだが、やはり25年たてば、大きく変わっていることに違いありません。隔世の感があります。
今や何でもかんでもインターネット、PC、スマートフォンで済ませる時代なのですが、平成初期は、どんな暮らしだったでしょう。

まず、当時はインターネットなんぞありません。通信といったら、TVやラジオ、音声電話(黒電話が多かった)。もちろん地上アナログ電波です。
電話もようやく携帯電話が出回り始めた時代。しかし通話しかできず、しかもアナログ式の電波。さらに現在と比べ重くて大きいです。
また、基本料金も通話料金も非常に高価な代物で、一般市民には高嶺の花でした。
そのためポケットベルを持つのですが、ポケベルも平成初期はビジネスマンが持つものだったが、それでも少なかった気がします。
しばらくたって女子高校生も持ち始めるようになりましたが、いずれも現在は携帯電話にとって代わりました。
そのため外出時には公衆電話が重宝され、テレフォンカードも重宝されたことでしょう。私もアイドルのテレカをよく集めたものです。
でも今は携帯の普及で公衆電話は不要、これに伴いテレカも不要ですね。もっとも携帯をなくした時は必要ですが。

TVもVHF・UHFの地上アナログ波。衛星放送(BS)も始まっていたものの、契約の別料金を取られたくないのか、大半は地上アナログでした。
もちろん地域の放送局しか視聴できません。
ラジオも、もちろんアナログ地上波、地域の放送局しか聞けませんです。
サイマル放送で全国、いや全世界のFMが聞ける2013年現在とは大違いです。
そのTVやラジオを録音する記憶媒体も、もちろんビデオテープ、カセットテープでした。容量が小さく、テープの数でかさばりました。
ビデオテープなら最大でも140分(3倍モードでも420分)、カセットテープは120分(片面60分ずつ)のものもありましたが、たいていは60分くらいでした。
現在のDVDやHDDと違い、頭出しに手間や時間がかかったのは言うまでもありません。また、テープもよくからんだものでした。
出し入れする時、テープがからむとがっかり・・・。そんな時を思い出すと、懐かしく感じます。
映画やアダルトビデオ、そしてヒット曲など音楽も、今でこそYouTubeなどネット動画で見れますが、
昔はよくビデオショップに足を運び、ビデオテープやCDをレンタルしたものです。
今(2013年)はもう、ビデオショップは5年ほど行ってません。
また、書店で本を買うのも5年ほど行ってません。いずれもブロードバンドのおかげです。
Windows95が登場したインターネットの初期は、ナローバンド、それもダイヤルアップ接続で、料金は定額制でなく従量制でした。そのため使いすぎて、請求額が青天井になる欠点がありました。
その後、ISDNの64kbps、ADSLの1Mbpsと通信速度が向上し、WindowsのOSがXPになった時から定額プランも登場しました。
さらに通信速度が上がり、現在は100Mbps、FLETS光通信が主流、その上無線LAN(WiFi)も普及しています。
そのためネット動画もなめらかに再生できます。
携帯電話においても、当初は通話だけだったのが、アナログ方式からデジタル方式にした結果、データ送信もできるようになり、最初はショートメッセージサービス(SMS)から始まり、やがて携帯からもiモード、EZwebなどインターネットサービスも始まりました。
movaなど2G携帯では9.6kbpsだった通信速度も、FOMAなど3Gでは384kbpsへ向上するなど、それらも年を追うごとに通信速度が速くなり、現在のスマートフォンやiPhoneではWiFi通信も利用できるようになりました。
もっともLTE端末でない場合、ルーターが別に必要、WiFiSPOTへ行く必要などがありますが。
現在ではインターネットでE-Mail、Twitter、Facebookで気軽にチャットできますし、リクエストもネットで済む時代ですが、インターネットのない時代、TVやラジオの歌謡番組で曲をリクエストする際には、はがきや封書、そして電話(電リク)で応募していました。
番組の感想やお便りも同様でした。電話はノータイムで届くのですが、はがきや封書は最低でも1日、遠方なら3日かかります。そのため締切日(当日消印有効が多い)を設定していました。

文書作成は、平成初期はワープロが主流でしたが、私はワープロも持ってませんでした。そもそもワープロが懐かしいのだが。
今はパソコン(PC)がワープロの機能も兼ねているからなあ。文書だけでなく、画像も印刷できるプリンターもあるし。
今では個人で印刷・コピーできる時代ですが、平成初期までは、印刷は、やはり業者の仕事でした。
それと関係するかもしれませんが、現在はネットでマイナーなジャンルの情報もかんたんに検索できますが、ネットがない平成初期までは、情報を得たいなら、本屋へ行って専門情報誌を買う、金がないなら立ち読みすることをやっていました。
出版物というのは、取材をして、最低でも1か月後に発行されるものです。
例えば鉄道が好きな人は、現在ならネットで検索すればファンたちがデジカメで撮影した画像をリアルタイムにアップロードして、それをすぐさまネットで速報で得られるのを、昔なら情報誌を買って情報を得るしかありませんでした。「ググる」なんて当時は夢にも思わなかったでしょう。
「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」など毎月の発行が楽しみだったに違いなかったことでしょう。
しかし、他のジャンル情報雑誌同様、編集から1か月後に出版されるため、タイムラグが生じてました。

最近はデジカメやカメラ付き携帯電話の普及により、毎日手軽に撮影できる分撮影マナーが悪くなった感がありますが、フィルムカメラ全盛の時代、現在のように写真を撮る習慣がありませんでした。
デジカメならPC、カメラ、SDカード、USBケーブル、ソフトなど初期費用がかかるものの、後はPCに取り込む費用がかかりません。保存枚数もフィルムカメラに比べ格段に多く取り込めるだけでなく、動画も取り込めます。
対してフィルムカメラは、初期費用はカメラ、フィルムだけですが、現像料がフィルムを買うごとにかかります。
1本のフィルムはたいてい24枚しか撮影できません。当然むやみに撮影できず、枚数は必要最小限になってしまいます。
撮影具合はデジカメならモニターでリアルタイムに確認できるのですが、フィルムカメラは店に預け、現像して写真が完成するまでわかりません。その間早くて半日かかります。

長くなったので、その2に続きます。


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五日市の更地とビデオ

新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
2013、今年最初の記事を書き込みます。
今年2013年、平成も二十五年目に突入。早いものです。
さて、私は、東京都あきる野市へ行ってきました。あきる野市は、旧五日市町・旧秋川市です。
私は旧五日市町内、武蔵五日市駅周辺を散策してきました。
あまり事件のことは語りたくないのですが、1988~89年に発生した、埼玉・東京連続幼女誘拐殺人事件の犯人M・Tの出身地でした。
事件が発生したのはまさに昭和末期から平成初期。四半世紀昔の話です。
1年にわたって4人の幼女を誘拐したあげく殺害。そのうち2人に対しては、遺体をビデオカメラで撮影しながらいたずらし、その後バラバラに解体して、遺棄したのです。あまり詳しい記事は気持ち悪くなるため書き込みを遠慮させていただきますが。
私が高校を卒業して、社会人一年生の時に発生した凶悪事件なので、今でも鮮明に覚えています。特にNHKで放送されたTVニュースを覚えてます。
「幼女連続誘拐殺人事件で、警視庁捜査一課は、きょう、M・Tを事情徴収する・・・」とパターン調で発言するNHKキャスターの発言が忘れられません。

M・Tは1989年(平成元年)7月23日、八王子市内の公園で遊んでいた2人の小学生姉妹を撮影し、当時小1である妹を裸に撮影していたところを、尾行してきた姉妹の父親に見つかって取り押さえられ、強制わいせつの容疑で現行犯逮捕されました。
それから半月たって、当時26歳だったM・Tは、連続幼女殺人を自供し、再逮捕されました。
彼の自室には、6000本近くものビデオテープがずら~~~っとすきまなく壁一面を覆い尽くし、お茶の間の視聴者に衝撃を与えました。ホラー映画ばかりかと思いきや、大半は幼児が見るアニメ・特撮ものばかりで、他にプロレスやドラマなどもありました。ホラー映画など猟奇的なものはごくわずかでした。しかしそれらはきちんと分類されておらず、1本のテープにゴチャ混ぜといった状態で録画されてました。以来彼は「おたく」と呼ばれていきました。
6000本も集めてどないすんねん!
彼はビデオサークルに入会し、アニメやヒーロー、そしてホラー映画を会員に大量にダビングさせまくる一方、自分は会員からのダビングを極力断ったため、サークルでは嫌われ者でした。
そうして6000本ものビデオテープを集めたものの、持つだけで満足してしまい、ほとんど見る機会はなかったようです。
とにかく珍しければなんでもよしという有様でした。
ビデオショップに行っては、ほとんどアニメや特撮ものばかり借りていって、20代後半の大人が借りていって見るものではありません。やっぱり20代なら、トレンディドラマや洋画、そしてアダルトビデオなどを見たいでしょう。だが彼はそんなものに興味なしでした。

今ではYouTubeやニコニコ動画など、パソコンやiPadからはもちろん、iPhoneやAndroidスマートフォン、そしてタブレットなどからも古今東西の動画を自由にネット閲覧でき、ジャンルもメジャーマイナー問わず膨大なコンテンツがあり見て飽きないのですが、M・Tの時代である平成初期、我々が見る動画といえば、TVやビデオしかありませんでした。もっとも当時はBS(衛星放送)が開始されてましたが、やはりアナログマンセーの時代です。
音楽鑑賞にしても、当時すでにCDが出回っていたのですが、ダビングはやっぱりアナログのカセットテープでした。デジアナ・・・
TVは八木アンテナで受信するアナログVHF放送にアナログのビデオテープ。当然DVD(デジタルビデオディスク)はありません。ビデオデッキも高価な時代でした(7~10万円前後が相場だった)。LD(レーザーディスク)も登場していましたが、やはりカラオケBOXといった業務用といった感じでした。レコードのLP盤並みの大きさだったし。あの凶悪事件もアナログ世代だなとしみじみ思うこの頃です。平成も25年まで来て、地デジ、ワンセグ、YouTube、ニコ動、そしてインターネット、検索と、デジタルマンセーの時代になりました。
TVは自分の地域の番組しか見れず、他の地方ローカル番組を楽しみたい時は、M・Tのようにビデオサークルに加入するしかありませんでした。
もちろん当時はインターネットはありません。だからテープを宅配便やら郵便小包やらで送るのです。当然リアルタイムに配信されません。
現在の小型大容量サーバーもハードディスクもない時代ですから、大きなVHSビデオテープは多ければスペースがかさみます。
それでも100本くらいは気になりませんが、さすがに千本単位になってくると、自分の居場所がなくなってしまいます。そのため、ビデオマニアと揶揄されるのです。
PCを愛用している現在なら、1TB(テラバイト・1000GB)外付けHDDがあり、HDレートで目安として約120時間録画できます。
VHS・SP(標準)モード60本分です。
6000本ものビデオテープをHDDに収めるのなら、1TBのHDDを、100個用意しなければなりません。それでも6000本ものビデオテープよりは、はるかに省スペースです。
価格には差がありますが、6千円~1万円くらいと思います。100個購入すれば、1万円にしても100万円かかります。
今でこそビデオテープは安いものですが、M・Tの時代、つまり昭和末期、ビデオテープは高価なものでした。
安くても1本500円くらいしたと思います。6000本も購入して最低でも300万円かかったことでしょう。
彼には300万円ほど貯金があったのですが、ほとんどビデオテープの金に使って、貯金がなくなると、店で万引きもしたそうです。

以上、凶悪事件とビデオの話を振りかえってしまいましたが、
最後に、現在の五日市かいわいの写真を貼ります。

五日市街道終点
五日市街道終点。奥にJR武蔵五日市駅。

JR武蔵五日市駅
JR五日市線終点 武蔵五日市駅

JR武蔵五日市駅
五日市駅から拝島・青梅方面を見る

西東京バス 五日市営業所
西東京バス 五日市営業所

五日市市街
五日市市街 小学校前交差点

秋川の清流

秋川の清流

秋川の清流
秋川の清流

更地

更地
ここが、連続幼女殺害事件の犯人が住んでいた家跡。と思います。彼の父は地元の小さな新聞社を経営し、ミニコミ誌として、現在のあきる野市内エリアに配達していた。事件発覚後、廃業を余儀なくされ、自宅兼新聞社は取り壊され現在は更地になっている。

新年早々殺伐とした記事になってしまいましたが、平成二十五年目に突入して事件を風化させまいと、書き込んだ次第であります。


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A Happy New Year 2013

新年 あけましておめでとうございます。

今年 2013年もよろしくお願いします。

そして、当ブログは今年もがんばります。



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