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東北新幹線 30周年

きょうは、東北新幹線大宮~盛岡間が開業して、30周年を迎えた。

200系原型車
写真は開業以来の車両、非リニューアルの200系。すでに消滅している。 2005/07/31撮影

E5系 はやぶさ
東北新幹線最新鋭のE5系「はやぶさ」。2011/05/04撮影

30周年の記念列車が、やまびこ号として大宮から盛岡まで走ったのだが、使用車両は開業以来のオリジナル塗装の200系といえ、リニューアル車両で特に前頭部の雰囲気が違うため、好きでない。
また、懐かしの列車とはいえ、当時のダイヤを完全に再現したわけでなく、当時の雰囲気がでない。でも、当時のダイヤで走ると、他の列車の邪魔になるから、あえて現在の速度で走行している。
今でこそ、大宮~盛岡間は、最速の「はやぶさ」で2時間弱だが、開業当時の「やまびこ」は、同区間を3時間17分で走行していた。
現在のE5系「はやぶさ」と、開業当時の200系「やまびこ」のダイヤを比較する。

2012はやぶさ1号
東京8:12発→大宮8:37発→仙台9:48着→盛岡10:32着→新青森11:22着
所要時間東京~新青森間3時間10分、大宮~盛岡間1時間55分

1982やまびこ11号 大宮7:15発→仙台9:14着→盛岡10:32着
所要時間大宮~盛岡間3時間17分
「やまびこ」は仙台の他、宇都宮・郡山・福島・古川・一ノ関・北上に停車(くりこま高原・水沢江刺・新花巻駅は当時未開業)。
ちなみに各駅停車の「あおば」は大宮~仙台間2時間17分であった。
当時の国鉄新幹線は、速達タイプと各停タイプで愛称を使いわけていた。東北新幹線も東海道新幹線「ひかり」「こだま」にならって、「やまびこ」「あおば」と使い分けていた。しかし、「やまびこ」の停車駅が多様化していって、ほぼ各停に近い「やまびこ」が登場しややこしくなったため、1997年10月1日より盛岡・仙台行きを各停でも「やまびこ」に統合され、「あおば」の列車愛称は消滅した。那須塩原行きは1995年12月1日より、「なすの」の愛称を使用している(後に一部郡山まで延長)。同時に同名の在来線新特急(新宿~黒磯間)は、「とちぎ」に改名されたのち、2010年12月で廃止された。
在来線特急と比較して、当然ながら速く感じたが、現在の「はやぶさ」「はやて」とは隔世の感がある。
開業当初は1日の運転本数は大宮~盛岡間速達「やまびこ」が4往復、大宮~仙台間各駅停車「あおば」が6往復、合計10往復でスタート。
1か月後には盛岡行き2往復の他に、仙台行き「やまびこ」が2往復増便され、14往復体制となった。
以後増発に増発を重ねていき、現在は臨時列車含み東京口では90往復程度運行されている。

盛土の上ばかりを走り、防音壁のない東海道新幹線に比べ、高架橋の上ばかり走り、高い防音壁の東北新幹線は近代的であった。自分も東北新幹線沿線に住んでいたので(当時小学生)、列車が近づくたびに音で興奮した。盛土と高架橋では、列車の響きが違う。
高架橋を猛スピードで走る列車は、特に静かな夜に聞くと少し怖かった。今と比べ、当時の走行音は大きかった記憶がある。
1971年11月、東京・赤羽にて起工式が行われ、本来なら1976年度に東京~盛岡間まとめて開業予定であった。しかし、その後のオイルショックで、景気低迷などにより工事は進まず、東京~大宮間は反対運動が激しく、用地買収も進まなかった。(大宮~上野間は1985年3月14日、上野~東京間は1991年6月20日開業。盛岡~八戸間は2002年12月1日、八戸~新青森間、つまり東北新幹線の全通は2010年12月4日。最初の着工から全通まで39年かかっている。これは新幹線史上最長である)
そんな中、1978年には、埼玉県久喜市から栃木県石橋町(現・下野市)までの試験線、小山車両基地、小山駅新幹線ホームが完成した。当時の試験線は小山新幹線とも呼ばれていた。もちろん現在の東北新幹線の一部である。東海道新幹線開業前でも、神奈川県綾瀬市から小田原市までの鴨宮モデル線が1962年夏先行完成し、やはり試験電車B編成(1000型4両、他にA編成2両もあった)が1963年3月30日、256km/hの世界最速を記録するなど、ドラマを生んできた。その再現といえよう。
小山試験線では、山陽新幹線から移籍した961型試験電車による試験走行が繰り返された。前頭部排障器は積雪地帯走行を考慮してスノープラウ(雪かき装置)を取り付けた。この961型、山陽新幹線と東北新幹線の両方を走った、唯一の新幹線車両でもある。また、全国新幹線網形成に備え、耐寒耐雪構造はもとより、食堂車や寝台設備まで試作された車両だった。食堂車は東京~博多間など比較的所要時間の長い東海道・山陽新幹線で1974年9月に実用化された(2000年3月廃止される)が、新幹線の寝台車は現在に至るまで実用化されていない。
東北新幹線と東海道新幹線との直通運転は、1991年東京駅開業以来現在に至るまで実施されておらず、線路すらつながっていない。電源は交流25,000Vだが、東北・上越は50Hz、東海道は60Hzと、電気方式の違い(ご存知の通り東日本と西日本ではヘルツが違う)が理由に挙げられるが、これは技術的に可能で、長野(北陸)新幹線で運用されている。前述の961型も50/60Hz両用だったため、山陽新幹線から東北新幹線へ移籍が可能だった。在来線でも485系特急電車、EF81型電気機関車が交流50/60Hz 20,000V、そして直流電源1,500V対応であり、かつて特急「白鳥」、寝台特急「日本海」が大阪~青森間を日本海縦貫線、1,000km以上の距離を走破していた。
JR東海が東海道新幹線には16両編成・1323名定員以外の列車を乗り入れさせない方針(九州新幹線みずほなどの8両編成も)であるため、実現は不可能である。その意味で961型は山陽・東北新幹線を走った貴重な電車といえる。
961型電車は試験走行を繰り返したのち、1979年12月7日には、栃木県野木町(新野木変電所あたり)にて、当時の電車としては世界最速319km/hを記録した。
他の区間も工事は進み、962型試作車も投入され、試験走行が行われた。961型は東海道・山陽新幹線同様の青塗装であったが、962型は緑塗装で登場し、初めて緑の新幹線が登場した。また、東北地方や新潟地区という寒冷地・積雪地域を走行するため、耐寒耐雪構造が一段と強化された。前頭部のスノープラウと、主電動機の冷却風を取り入れる際の雪切室を設置が特徴である。
昔のテレビで、走行中の新幹線が雪かきする姿を見た記憶がある。猛スピードで雪しぶきを上げる新幹線は迫力があった。
そして1980年度より、962型の実績をもとに、東北・上越新幹線用の営業・量産車両、200系が登場した。1982年の東北・上越新幹線開業まで、12両編成36本、432両が製造された。以後も増加し、最終的には700両が製造された。
200系は東海道新幹線開業以来久々の新系列だけあって、技術が進歩している。
まず、車内ビュッフェ(軽食のイートインコーナー。現在の新幹線には食堂車共々ない)の公衆電話。現在は携帯電話の普及で、公衆電話をあまり利用する人はいないが、携帯のない時代、当時は公衆電話は必須であった。
東海道・山陽新幹線では通過する沿線自治体にしか電話がかけられず、かつ交換手が手動で接続していたのが、東北・上越新幹線では、日本全国に通話でき、自動接続となった。電話もダイヤルホンから黄色のプッシュホンに変わった(当初は100円硬貨専用のコイン式、その後カード式に変更)。

237型ビュッフェ内部
ビュッフェ内部。車外から2002/08/05撮影。
ビュッフェ内の速度計も、0系の扇状アナログメーター(260km/hまで表示)から、デジタル表示に変わった。
車内設備も、リクライニングシートを全面採用した。2列シートは回転できるが、3列シートは当初回転できず、車体中央を境界に進行方向にデッキに向けてそむける形となった。窓枠も車内側は、アルミ枠から、航空機のようなFRP(強化プラスチック)製となり、斬新な印象となった。
運転席も進化し、0系では計器類は全体的アナログだったのが、デジタルメータに変わり、列車の運転状態を知らせるモニタリングディスプレイも設置され、管理の省力化が図られた。もっともカナ英数字しか表示せず、現在の新幹線運転席や、パソコンから見ればいささか古風な感じだが、当時のコンピュータでは主流で、斬新な鉄道運行管理であった。新幹線もデジタル時代に突入といったところか。
もっとも、安全の要であるATC(自動列車制御装置)は従来の東海道新幹線同様、段階的に速度を落とすアナログ方式であり、ATCブレーキ作動時は常に強めのブレーキで、大きく揺れた。特に、駅に停車する時など低速走行に作動するATCは衝撃が大きく、車内デッキでしゃがんでいた時、コケたことがあった。
衝撃なく一気に速度を落とせるデジタルATC(DS-ATC)が登場するのは、21世紀に入ってからである。
200系電車は、新幹線車両初の正式系列が与えられた車両である。従来東海道・山陽新幹線の車両は、系列で呼ばれず、単に「新幹線電車」とか、「ひかり号(またはこだま号)電車」と呼ばれていた。200系の登場により、東海道・山陽新幹線の車両は0系と呼ばれるようになり、100系登場後は新幹線旧型車両の呼び方として定着していった。
200系が登場すると、従来の0系は一気に陳腐化するようになった。1964年、東海道新幹線が開業して以来毎年増備が行われ、広窓が小窓になったり、転換クロスシートがリクライニングに変わるなど途中マイナーチェンジが行われていったが、基本的設計は1964年以来、全く変わらず、東北・上越新幹線開業後増備され、200系に準じた設備の0系2000番台車でさえ、古くさく見えた。
現在では、車内放送はどの駅到着でも同じメロディだが、開業当初は、駅に到着のつど、ご当地メロディが流れた。小山駅なら小山音頭、北上駅なら北上夜曲といったご当地の民謡など、停車駅が
近づくと、流れた。1991年6月の東京駅開業まで続いた。
車内の設備も、当初は奇数・偶数号車で異なっていた。トイレ洗面所の有無だけでなく、車内配色も異なっていた。奇数号車はオレンジ(茶系統のグリーン車を除く)、偶数号車はグリーンを基調にし、カーテンやデッキの壁で表現していた。これも1991年6月の東京駅開業に前後して、奇数・偶数号車共内装は統一されてしまった。

以上、開業当初を中心に書き込んでしまいましたが、30周年を迎えた東北新幹線にまつわる話でした。


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