スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

平成25年と元年の違い その2

その1の続き。

今でこそアイドルはAKB48グループ一辺倒な感じですが、平成に入る頃には、乙女塾系などマイナーというか、コアというか、一部の男性マニアにしか好かれないアイドルばかりでした。CoCo、Ribbon、Cotton、田村英○子、中嶋美○代etc・・・
鳴り物入りでシングルデビューしても、いつしか消えていき、今ではそんな歌手いたっけ、と忘れられた存在も多いです。
それでも最近の茶髪ギャルに比べ黒髪で清楚な女が多かった気がします。
バブル時代の若い女はワンレンソバージュの髪型にびしっと決めたミニスカスーツ、おやじギャルが多かったが、当時のアイドルはフリフリの衣装が多かった気がします。可愛かったのに、イカ天などバンドブームに押されて、アイドルは冬の時代な気がしました。
たまたまライブや小さなイベントに足を運ぶものの、バンドファン、ニューミュージックファンにも一般の人々などからも冷たい視線を浴びせられ、肩身が狭い思いをしたものです。
ライブやイベントで撮影しようにしても、撮影禁止の場合が多く、隠れて撮影するしかありませんでした。見つかると、フィルムを没収する者もいたそうです。
また、撮影できても、現在ならデジタルカメラでこっそり極秘にPCに取り込むことができますが、当時はフィルムを写真屋にDPE現像出さなければならず、写真が出来上がって、風景写真ならともかく、アイドルなら確認されるのが恥ずかしかったでしょう。
ましてエロ写真なら、現像の時点で拒絶されたでしょう。
エロならともかく、アイドル写真なのに拒絶された店もまれにありました。
いずれにしろ、撮影内容が第三者に知れ渡って、内容によっては嫌な顔をされてしまいます。

鉄道車両は、平成初期当時、大手私鉄ではVVVFインバータ制御車両が登場し、増え始めていましたが、JRはまだまだ国鉄型車両が大多数を占め、電車の大半は昔ながらの抵抗制御でした。
「走るんです」などの低コスト車両なんてありませんし、今より車両はまともなつくりで、長期間使用することを前提に製造していたのです。
何しろバブル時代の真っ只中で、長引く不況がくるとは思ってなかったでしょう。
JRにおけるVVVFインバータ制御車両は、常磐緩行線207系900番台車、10両編成1本だけでした(私はついに見れませんでした)。
通勤車両では103系や113系など、特急車両では485系が圧倒的でした。165系、457系、キハ58系といった急行型車両も多数活躍していました。もっともその頃、JR急行列車は極めて少なくなってましたが。
最新式でもJR東日本で言えば、通勤車両は205系、特急車両は651系(初代スーパーひたち)でした。いずれも界磁添加励磁制御といって、省電力に貢献するものの、抵抗制御同様動力に直流モーターを使用するためカーボンブラシの交換が必要で手間がかかり、今から言えばやや古い制御方式でした。
中央線快速では201系マンセーの時代。こちらはチョッパ制御で、やはり省電力に貢献するものですが、チョッパ装置の制作コストがかかりすぎて、国鉄末期の財政を苦しめさせたものです。
界磁添加励磁制御同様、動力に直流モーターを使用するため、やはりカーボンブラシの交換は必要でした。
VVVFインバータなら、交流モーターのためカーボンブラシの交換は不要です。

自動車の場合、平成初期はもちろんETCなんてありません。すべて現金車両でした。ハイウェイカード(ハイカ)もありました。
入口で通行券を受け取り、出口で通行券や料金を渡していました。このため料金所で車は必ず一旦停止していました。
均一料金の首都高や中央道高井戸~八王子間などでも、現金支払いまたは回数券を渡していました。
首都高は当時東京都内600円、神奈川県内400円均一でした。
5号池袋線は竹橋JCTから高島平どまり。大宮へは17号新大宮バイパスを通って行ったものです。
関越道へも東京外環道がまだなく、練馬ICから乗るには、目白通りなど一般道を使うしかありませんでした。
また、湾岸線は横浜ベイブリッジが開通したばかり。レインボーブリッジも建設中でした。このため箱崎JCTを先頭にした渋滞がどこからも激しかったです。
また外環道もないため、代わりに首都高川口線や三郷線が上下とも渋滞しまくってました。そのあおりで6号向島線は現在も名物の両国JCTを先頭の上り渋滞のみならず、堀切JCT先頭の下り線も渋滞が多かったのです。
羽田空港も現在のように広くなく、高速湾岸線は東海JCTから大黒JCTまで未開通でした。そのため東海JCTから昭和島JCTへ1号羽田線へ合流、その影響で神奈川県内の横羽線は羽田~生麦間でしばしば渋滞しました。その横羽線の渋滞を避けるべく、第三京浜の車も多かったです。
第三京浜は平成初期まで、普通車の通行料金、特に5ナンバー以下の料金が安かったです。普通車は全線通行の場合、3ナンバーは250円ですが、5ナンバーは150円、軽自動車や二輪車は80円でした。
1995年に改定が行われ、普通車全車両250円、軽二輪150円になりました。横浜新道も同時に、普通車100円で、戸塚料金所を通過する場合のみ徴収していたのが、200円に値上げされたばかりでなく、第三京浜、首都高三ツ沢線などから横新を通過し保土ヶ谷バイパス、横浜横須賀道路へ向かう車、今井~川上間など無料で通過できた区間からも徴収するようになりました。三京や横新の値上げ、建設費償還が終わって、無料化を期待する矢先に大幅値上げするなんて、怒りを覚えたドライバーも多かったことと思います。それでも首都高や東名高速よりは大幅に安いから許せますが。
東名高速は平成初期は東京~厚木間のみ6車線でした。大型連休になると、必ず大和トンネル、伊勢原バス停、さらに当時片側2車線だった都夫良野(つぶらの)トンネルも渋滞したものでした。
現在は東京~御殿場間6車線、大井松田~足柄SA間は7車線です。
中央道は全線4車線。小仏トンネル、当時片側2車線だった談合坂SA(現在に比べてかなり狭かった)、中野トンネル付近、さらに笹子トンネルでしばしば大渋滞したものです。
平成初期には長野(北陸)新幹線どころか上信越道もなく、東京から軽井沢・長野市などへは、スキーなどへ行くにはバスで行くのは夜行だったため、信越本線エル特急「あさま」の独壇場だったと思います。車で行くのなら関越道で藤岡(群馬県)まで行き、そこから国道254号で軽井沢・佐久へ、18号で上田・長野へ向かって行くのだが、特急電車に比べて時間がかかったでしょう。そのためバスなら夜行に限りました。
信越本線は横川~軽井沢間(1997/10/1廃止)にJR最急勾配の碓氷峠(通称横軽・66.7パーミル)を抱えていて、普通列車も特急列車もすべて横川・軽井沢駅に停車しなければなりませんでした。急勾配対策として、長野・小諸方面は登る時、電車だけでは登坂力不足のため、高崎・大宮方面は下り坂で暴走防止のため、いずれも横川駅側に補助機関車EF63を2両連結しました。機関車連結・解放のため両駅で5分停車していました。
横川駅ではその停車時間を利用して、峠の釜めしを買う乗客も多かったでしょう。
小諸駅は、特急も全列車停車していたため、今より繁栄していたことでしょう。現在は新幹線は佐久平経由になり、小諸市の衰退が激しいようです。

車に乗って、燃料の給油は、今でこそセルフサービスが主流ですが、平成初期はセルフサービスのスタンドは考えられなかったことです。
危険物取扱法がネックで、資格を持っているか、アルバイトか、とにかく店員でなければ給油できませんでした。
現在は大きくて綺麗なスタンド、もちろんセルフが主流ですが、平成初期は、田舎にある、老夫婦が経営しているようなごく小さなガソリンスタンドもがんばっていました。
エンジンオイルも今ではカーショップで交換するものを、やはりスタンドで交換していました。

また、現在では個人主義・個人消費が進行していますが、皮肉にも大型店舗や大手コンビニチェーンが普及し、個人経営の小さな商店が少なくなってきている時代です。「○○商店」「××酒店」「○○米穀店」「○○精肉店」「××薬局」、そして小さなタバコ屋など、もはや絶滅の危機に瀕している感じです。
「餅は餅屋」というように、平成初期までなら酒は酒屋、タバコはタバコ屋、コメは米屋、野菜果物は八百屋、肉は肉屋、そして薬は薬屋と、個人が経営する小さな専門店舗で買ったものですが、今それらは大型スーパー、ショッピングモールなどでも買える時代です。やはり規制緩和の結果でしょう。
イオン
(写真はイメージです)
今や日用品のお買い物は大型スーパーやショッピングモールがメインの時代です。
ドラッグストアでも、薬品だけでなく、キッチン・入浴用品、飲料や食料品、酒やタバコなども買えます。今は便利な世の中ですね。
その結果、個人経営の小売業が壊滅的被害を受けたのです。
郊外の国道・県道、バイパス沿いのショッピングモールが発展する一方、駅前や旧道を中心とした商店街はシャッター通り化してしまったのが現状です。
シャッター通り?
(写真はイメージです)
古い商店街の場合、特に建物が古く、商品のジャンルも店名通り1つしかなく、さらには駐車場がない、あっても狭いなど旧態依然としていて、生活の多種多様化や車社会の時代に対応できなかったのが敗因でしょう。
「ALWAYS 三丁目の夕日」まではいきませんが、古くささは否定できないです。
また、ドライブで休憩・食事する場合、今ならファミレス、道の駅、そしてコンビニ駐車場などで休憩しますが、平成に入る当時は、ドライブインや個人経営の大衆食堂などで休憩したものでした。いずれもバイパスでなく旧道に多かったです。
大衆食堂
(写真はイメージです)
コンクリートの床に背の高いテーブルや、動かすとゴーゴーうるさい座面の小さい4本脚のイス、味はまあまあのラーメン、野菜炒め、カレーライスなど(映画トラック野郎を思い出した)、大して美味しくなく、客はおっさんばっかりだったけど、人情ありました。
今のファミレスでは、木張りかコルク(リノリウムの場合も)張りの床にソファー、味は網焼きハンバーグなど美味しいのだが、とことんマニュアル教育された店員で少し味気ない気がしますが。


以上、記事が長くなってしまい、25年も経過すれば隔世の感があり、まだまだ書き込みたいのですが、キリがないので、ここで終えますが、また思いついたことがあれば、追加していきたいと思います。


当ブログは人気ランキングにも参加しています。

PCからはクリックしてくれば助かります

ケータイからはここをクリック!


スポンサーサイト

テーマ : ブログライター記事
ジャンル : アフィリエイト

コメントの投稿

非公開コメント

admatic

プロフィール

poppychan

Author:poppychan
ようこそ、あふぃり888しょっぷへ!

サイトマップ おしながき
当ブログをご閲覧いただき、まことにありがとうございます。

広 告 ゾ ー ン
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
豊富なカテゴリで~す
リ ン ク 集
人気ブログランキング
♥気軽に検索してね♥
フリーゾーンだよ~ん




お小遣い稼ぎより大きな収入を目指して!完全無料のポイント サイト - PointPay
Q R コ ー ド
QR
ブロとも申請フォームですよ

この人とブロともになる

月別ア~カイ ブス
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。